飴と鞭の方法ってダメそうだけど何がダメなのか分からない。
他の人の意見も聞いてみたい。
こんな疑問にお答えします。
この記事を書く私は現在2歳の子を持つサラリーマンです。
育休を取得し、世の中の一般的なお父さんよりは子どもを見てきたつもりです。
育児の本や動画も妻と共有し、考え方を一致させる努力をしています。
結論から言うと、
子育てにおいて「飴と鞭」は絶対に使いません。
これから紹介する飴と鞭を使わない3つの理由と、私が「飴と鞭」で育てられた経験と弊害を踏まえ、色々な育児の本を読んで私なりに考えがまとまったので紹介します。
子育ては大変だしどうしても楽な方法に頼ってしまいがちです。
この記事を読んでお子さんの事を改めて考えるきっかけにしていただけたら幸いです。
子育てに「飴と鞭」は絶対に使わない3つの理由
単純に自分が嫌だったというのもありますが、私が飴と鞭を使わない理由を紹介します。
これが正解なのではなく、2歳の子を持つ親の一つの意見として見てもらえたらと思います。
「飴と鞭」は動物を従わせる時の方法
「飴と鞭」は、対象を自分の思い通りに行動させたい時に使う方法です。
自分が思った通りに行動すれば褒美を与え
思った通りにならなければ罰を与える。
子どもって思い通りに従わせる道具のような存在でしたっけ?
違いますよね。
愛すべき我が子を都合の良い動物や道具のように扱うものではありません。
子どもは尊厳を持つひとりの人間
子どもは失敗を沢山しますし、一人ではできないことが多い存在です。
それでも、子どもは尊厳を持った一人の立派な人間です。
意志を持ち、自分で考え行動しています。
親が子どもを信じなければ誰が信じるのでしょうか。
「良い子」になろうとしてしまう
親の思い通りに動けば報酬が与えられることを知ると子どもは学習します。
「いい子でいれば良いんだ」と。
私は世の中の「良い子」という表現が嫌いです。
この「良い子」って
「”親にとって都合の”良い子」なだけではないでしょうか。
親世代の教育
私は自分の親から「飴と鞭」で育てられてきたように感じています。
徹底した飴と鞭ではないですがそう感じています。
嫌だったと気付かず、当時の私は必死に頑張っていたと思います。
自分のためではなく、無意識に「親の為に良い子でいること」を頑張っていました。
今思うと絶対良くないですよね、子どもは自分のために頑張るべきです。
親の世代はインターネットがあったわけではありません。
教育の方法は自分が子どもの頃に親からやられた方法しか知りません。
両親ともに本を読むタイプではありませんでした。
今でこそ”仕方なかった”と思えますが、そう思えない人も世の中には多い気がします。
無気力人間になった過去の私
良い子でいることを徹底していた結果、自分の目的が無くなってしまいました。
高校も大学も何となく流れのままに進学しました。
成長すればするほど、期待に応えようとそればするほど
上手くいかない事が多くなってしまい、精神的にまいっていたのです。
褒められるために頑張る
↓
上手くいかない
↓
褒められない
↓
やっても意味が無い
↓
徐々に無気力へ
こんな思考でした。
もうすぐ社会人になろうとする頃には「何もやりたいことが無い」無気力人間。
就職活動中は、親からずっと「何かやりたいこと無いんか」と問われ続けていました。
当然何もありませんでした。
偶然、何故か内定が取れた会社。
「やりたいことないし、内定とれたからここでいいやー」
そんな感覚で新卒で入社した会社は長く続くわけがありません。
半年で辞めました。
子どもに同じ思いはさせたくない
自分の人生の失敗を親のせいにしたいわけではありません。
でも、子どもは親に強く影響されるものです。
良くも悪くも必ず親に似ます。
本当の自立とは、親の良い事も悪い事も、全て似ているということを受け入れ、許す所から始まると思っています。
ただしこれができるのは、だいぶ大人になってからです。
大人になってもできない人もいます。
子どもの内はひたすら混乱し悩むしかない部分です。
そうならない為には現在親である私も勉強し続けるしかありません。
常にアップデート
最初にお伝えしましたが、私の考えは間違っているかもしれないし合っているかもしれない。
わかりません。
ただ自分で色々調べた上での意見を述べさせていただきました。
あらゆる分野で正しいと思われていることは日々変わってきます。
世代が変われば常識も非常識になっているでしょう。
今は昔と違って自ら得ようとすれば情報を得られる環境にあります。
考えすぎも良くないものですが、子どものために常に自分をアップデートしていきたいです。
日々勉強している様子を子どもは見ていてくれると思っています。